主日礼拝説教要旨

2013年8月18日 青木キクミ副牧師

へブル人への手紙13章1節~8節

私達が信仰の歩みをするにあたって 三つのポイントから学んでまいります。 一つ目は 兄弟愛を持つことです。ギリシャ語では「フィラデルフィヤ」といいます。ヨハネⅠ3:16では キリストが十字架で命を捨てられたように、兄弟愛とは正しくない者のために命を捨てることだと語っています。このことから兄弟愛が単なる教えの一つではなく 救い・永遠の命にかかわる信仰の本質であることを意味しています。兄弟愛の具体的な形態として もてなすことがあります。マタイ25:35では、もてなす人は永遠の命に もてなさなかった人は刑罰に入ると書かれています。いかにもてなすが重要であるかがわかります。また思いやることも必要です。兄弟愛をもってもてなし思いやることが、永遠の恵みにとどまる大きなポイントです。 二つ目のポイントは 不品行(姦淫)・貪欲を避けることです。結婚は神との誓約です。姦淫はその誓約を破ることです。不品行は より広い意味での性的罪をいいます。これらは罪に定められます。ただ罪の基準が 旧約・新約で違いがあります。旧約においては行いが罪でしたが、新約では思いの内から罪なのです。人間には誘惑があります。しかし罪から目をそらし神を見るならば 思いは守られるのです。思いが聖書的ならば、行動も聖書的になります。いつも思いを神の言葉に合わせていくことが必要です。 貪欲の罪とは、今持っている物で満足できないことです。金銭を愛してしまう原因は、不安や心配からきています。テモテⅠ6:10には「金銭を愛することは あらゆる悪の根」と書かれています。イエス様は山上の垂訓で 神の国と神の義をまず第一に求めるなら、すべてのものは与えられると語られました。心配や不安はありますが、そこに心を置かないで神を中心とし従う歩みをするなら 神は全てを満たしてくださるのです。 三つ目は指導者たちの信仰に倣うこと。ここでの「指導者」とは 手紙の受け取る人々の教会の初期の指導者たちです。この方々はすでに亡くなっていましたが、信仰を全うした人々でした。 この人々に倣いなさいと言っています。しかし指導者は変わっていきます。その中にあって決して変わらない方が おられます。それはイエス様です。イエス様は最高の指導者であり、決して変わらないのです。イエス様がおられるので、私達は信仰を守り全うすることができるのです。 この三つのポイントを心に留め 信仰の歩みをなしてまいりましょう。(文 小川)