主日礼拝説教要旨

2012年10月21日 ヨハネ森啓一牧師

へブル人への手紙連続講解NO2 1章4節~14節

今日のテーマは、「御使いより優れたお方」です。
4節でキリストが御使いよりも優れた者であると言っています。 5節~14節では、旧約聖書の7か所を引用して(うち5か所は詩篇から引用)御使いは礼拝されるべき対称ではないと述べています。
5節(詩篇2:7から引用)「生んだ」という言葉はイエスの復活のことを意味しています。使徒の働き13:33.、ローマ1:4から復活がこの方が神の子であり、神ご自身であることを証明しています。又、第二サムエル7:14「わたしは彼の父となり彼はわたしの子となる」はダビデの子孫からメシヤであるキリストが、生まれ十字架の死と復活により神の子として神の国に入る救いの道を完成された事をいみします。
6節 長子とはイエス・キリストの事であり、生まれた順番ではなく、父の二倍の分け前を受け継ぐ人、他の兄弟にまさっている、と言う意味があります。「長子をこの世界にお送りになるとき」とはイイエス・キリストが再臨される時の事をいっています。 黙22:9、黙5:12 ここでは御使いが力強い存在でありながらイエスに賛美を捧げています。つまり御子は、はるかにすぐれたお方であり御使いもこの方を礼拝しているのです。
7節(詩篇104:4の引用)ここでは御使いは風のように速く火のように力をもって神の命令に従うものとして引用せれていると思われます。
8節(詩篇45:6~7から引用)神が御子キリストの事を神とよんでいます。御使いは被造物ですが御子は神でありその御座は永遠である。これが決定的なちがいです。
9節 何故イエスの上に油が注がれたかというと、それは、イエスが十字架という死を通り死に打ち勝ったからです。つまり試練、苦しみ、困難を通ったからこそ油が注がれたのです。私達も喜びの油を注がれるポイントは同じです。
10節~12節(詩篇102:25~27の引用)天地万物がなくなってもキリストご自身は変わることなく尽きることがないのです。 13節~14節(詩篇110:1から引用)キリストが大祭司として神の右の座にいるということを表しそれに対して御使いは神の前に立って奉仕する者であり(ルカ1:19)神の右の座についている御子とは根本的に立場が異なっているのです。又、神に奉仕するだけでなく人々にも使えるということです。キリストは「救いの創造者」であり信仰の「創造者であり完成者である」しかし御使いはその神に使える者であり、救いの相続者になる人々に使える者なのです。この違いは明らかで大きいのです。ですから私達もこのイエス・キリストにしっかり目をとめ心を開きキリストが語られる言葉に従いながら歩んでいきましょう。救いの完成を目指して歩み続けていきましょう。