主日礼拝説教要旨

2012年923日 ヨハネ森啓一牧師

ヘブル人への手紙 11章1説

1節信仰とは望んでいる時はまだ目には見えませんが、望んでいる事がらを保証し、確信させるものです。2節、信仰の基盤は神の言葉です。望んでいることに関して、神の言葉が与えられ約束が与えられるならば必ずそうなります。必ず目に見えて確信させるものとなるのです。それが信仰による神の言葉の素晴らしさです。先日、全身にガンが許されたM牧師が、完全な癒しを受け退院されるという素晴らしい神の御業がおこりました。医者の診断では、余命は1~2ヶ月と語られましたが、癒される事を望み、願い「癒されます」と信仰告白をされていました。また、天のしるしである約束の「虹」が与えられ、そのしるしによって信仰が与えられ「癒される」という確信があたえられたのです。神が語られると必ずそうなります。今はみえなくても、それは必ずそうなると保障し、確信させるものです。それが信仰であり神の言葉です。私達の信仰を通して多くの人々に解放が与えられ、癒されて、神の大いなる御業がおこります。信仰を働かさなければいけません。信仰を働かせる必要があるのです。望まなければなりません。試練、困難が許されたら主に求めるのです。求めた時、主が解決を与え、「癒す」と言う言葉が与えられるのです。与えられたら受けたと言う、信じる信仰を働かせるのです。信仰は保証し、確信させるからです。「癒された」「解決した」と告白し、喜びの声、賛美の声をあげていくのです。私達の周りに多くの病の人、問題を持っている方が来られます。与えられた信仰を働かせ、癒しの為に祈り、イエス・キリストの事を語り、信仰の歩みを強めていきましょう。神が大いなる御業を表してくださいます。 (文責 森本)