主日礼拝説教要旨

2012年8月26日 ヨハネ森啓一牧師

テトスへの手紙2章11節~3章2節

2章1節~10節で、パウロはクレテ教会の人々に神の教えを語りましたが、2章11節からは、その根拠と目的を語っています。 11節の「というのは」は10節の神の教え(聖書の教え)を受けています。 神の恵みとは、イエス・キリストの受肉、十字架の死と復活を意味します。 奴隷であれ異邦人であれ、すべての人が十字架を信じ、悔い改めるなら救われると言う、その恵みが現れたと言っています。 この時代(イエス・キリストの十字架と復活からキリストの再臨まで)、神の言葉の目的は 不敬虔とこの世の欲を捨てる事にあります。 キリストの十字架の死と復活は、すべての罪から私たちを解放し、買い戻し、信仰の行いに導くためでした。 救いを与えるためだけのものではなく、信仰の行いをし、聖化され、多くの人を救いに導くためです。 私たちはキリストの十字架を信じるだけで、義とされますが、救いの恵みをすべて受けるには、信じるだけでなく、忠実に神に従い、与えられた信仰を正しく用いていかなければなりません。 信仰の歩みを通して、私たちは聖化されます。ここで十字架の恵みが完成するのです。 パウロはテモテに、神の教えを教え、実際に行うことが出来るように勧め、そして、それをしない人を責めなさいと言っています。 この世から分離し、罪から贖われた者であるが、この世の権威者にも従いなさい。 そして、教会の中だけでなく世に対しても、すべての事に対し信仰の行い(一般的な良いことも含まれる)をしなさいと言っています。 教会の中だけでなく、この世においてもキリストの良い香りを放っていく必要があります。 それは、一人でも多くの人を救うためです。 神に忠実に従い、正しく信仰を用いていきましょう。 (文 青木)